その知らせが入ったのは、まさにライブがはじまる直前だった。
何のことか、はじめはさっぱりわからなかった。
メールを2度読みなおし、次は震えてきた。
その方は劇作家で、あまりにも尊敬しすぎて、色んな現場(打ち上げや、披露宴など)で
席をご一緒するだけで緊張して、まともにお話ししたことがなかった。
もちろん威圧的な方だから緊張するのではない。
作品からもうかがえるように、圧倒的に人間の格が高い方だったからだ。
普段はとても品の良い、やさしい微笑みを湛えている山好きなおじさんだった。
もっと、お歳を召しているのかと思ったら、まだ48歳だった。
その方の息子さんと今年、客演先ではじめてご一緒した。
打ち上げの席でその息子さんが
「父の昔の作品を繰り返し繰り返し今、見ているんです。本当に父はすごい」と
熱く熱く語ってくれた。
彼が繰り返し見ているというその作品のひとつを
10数年前、今はなき扇町ミュージアムスクエアで私は見た。目撃した。
あまりの衝撃で、拍手をするのも忘れ、しばし呆然と劇場に座りつくした。
そして、そのあとどうやって帰ったのかも思い出せないほど
劇中のセリフが、物語が、役者の顔が、表情が、魂が、
ぐるぐるぐるぐる、繰り返し繰り返し、頭と胸、全身をめぐり
「本物」を味わう喜びと
「本物」を味わってしまった苦しみを
私はその時、「彼の作った演劇」から教えてもらったのです。
そして、常に人間を深くえぐり、
人として生き、生かされている意味を深く考えることを
きづかせてしまう作品を作り続けるその方の舞台に
いつの日か、出していただけないものかと
あつかましくも目標とする舞台人でした。
わたしと同じように「いつかは彼の舞台に立てるだけの人間になりたい」と願う
関西の舞台人を数多く知っています。
彼の舞台に立てるということは、小手先だけではなく
人間としての成熟を伴わないと許されないことを
その舞台を見た人は、肌で感じます。
そしておいそれと口に出せないけれども「いつかは」と願うのです。
そんな舞台人が、この世を去りました。
目標は手の届かないところに行ってしまいました。
大竹野正典さん
未だ信じられません